大判例

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神戸地方裁判所 昭和53年(行ウ)16号 判決

原告

亡大藪藤次郎訴訟承継人

大藪浩男

右訴訟代理人弁護士

鎌形寛之

麻田光広

被告

地方公務員災害補償基金神戸市支部長

宮崎辰雄

右訴訟代理人弁護士

奥村孝

石丸鉄太郎

右奥村孝訴訟復代理人弁護士

鎌田哲夫

中原和之

主文

一  被告が昭和五一年三月三一日付けで被承継人大藪藤次郎に対してした地方公務員災害補償法に基づく公務外災害である旨の認定処分を取り消す。

二  訴訟費用は被告の負担とする。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

主文と同旨

二  請求の趣旨に対する答弁

1  原告の請求を棄却する。

2  訴訟費用は原告の負担とする。

第二  当事者の主張

一  請求原因

1  訴外大藪都志江(以下「都志江」という。)は、神戸市職員として神戸市立多聞台保育所に保母として勤務していたが、昭和五〇年一一月六日午前一一時頃同保育所において保育を実施中に脳動脈瘤破裂(以下「本件疾病」という。)のため倒れ、同日午後零時八分ころ死亡した。

2  被承継人大藪藤次郎(以下「藤次郎」という。)は、都志江の父親で同女の死亡当時その収入によつて生計を維持していたものであるが、同女の死亡は公務上の死亡に該当するとして、昭和五〇年一二月四日被告に対し公務災害認定請求を行つたところ、被告は昭和五一年三月三一日公務外災害である旨の認定処分(以下「本件処分」という。)を行い、藤次郎に対し右認定処分の通知を同年四月七日に行つた。

3  藤次郎は、本件処分を不服として、昭和五一年六月二日に地方公務員災害補償基金神戸市支部審査会に審査請求をしたところ、同審査会は、昭和五二年一一月一二日に右審査請求を棄却したため、藤次郎はさらに昭和五二年一二月一二日地方公務員災害補償基金審査会に対し再審査請求をしたが、同審査会は、昭和五三年一〇月一七日右再審査請求を棄却する旨の裁決をし、同裁決書はそのころ藤次郎に送達された。

なお、藤次郎は、昭和五四年四月七日死亡し、同人の妻喜三重も同年一二月一〇日に死亡したので、その長男である原告が相続し、藤次郎(したがつて同人の妻喜三重の相続分も含めて)の権利義務を承継し、本件訴えを受継した。

4  しかしながら、都志江の本件疾病は、次に述べるとおり、公務上の事由によるものである。

(一) 都志江の経歴

都志江は、昭和三六年三月兵庫県立星陵高等学校卒業後、養護施設神戸実業学院等に勤務するかたわら、ピアノ等保母資格取得に必要な科目の独学を続け、昭和四八年一〇月保母資格を取得し、同年一一月から翌四九年三月末まではアルバイト職員として、同年四月一日から死亡の日までは神戸市職員として、それぞれ神戸市立多聞台保育所に勤務していた。

都志江の多聞台保育所における職務は、昭和四九年度は五歳児担当、昭和五〇年度は二歳児担当であつた。

(二) 都志江の勤務状況等

(1) 神戸市は、緊急施設整備五か年計画等に基づき、保育所建設を急速に進めるとともに、零歳児保育、長時間保育制度導入をしてきたが、施設内設備の拡充、労働者人員の確保の面で大幅な遅れがめだち、そのしわよせが保母の労働条件の悪化という形であらわれている。

(2) そもそも、保母の職務として必要な保育準備、行事準備、経過記録、実践記録の作成、教材研究等の業務は、正規の職務時間内に行うことが不可能であり、超過勤務(神戸市内の保育所のほとんどは一人一か月平均四時間以上の超過勤務をし、なかには一一時間という保育所も存する。)あるいは自宅への仕事の持ち帰りが不可避となつている職場が非常に多い。特に都志江が勤務していた多聞台保育園の様に長時間保育を実施している場合には、夕方になると職員数は減るが園児数はあまり減らないということになり、その時間帯は労働過重となるか、他職員の超過勤務による応援ということが多くなる。

さらに労働条件のうちの労働時間・休暇・休息についてみても、その条件は悪化の状況にある。すなわち、休憩はほとんどの保育所でとれていない状態で、年休の取得についても慢性的人員不足のため、昭和五〇年一〇月に神戸市職員労働組合が行つた調査で保育所等ではわずか三八・一パーセントの低さであつた。とりわけ女性労働者の場合、生理休暇がとりにくい状態(前記組合調査によれば、一人月一回の生理休暇取得を前提にしてもわずか一九・三パーセントの取得)も重大で、女性労働者の健康が大きく脅かされているのが労働実態である。ただ夏季休暇については、いずれの職場でもよく利用されているが、殆んどの職場において事前に三か月間の計画の中に組み込んで、順番に休んでいくのであり、疲労回復等にとつて当然な自由な休暇とはほど遠い状況である。そして、休暇保障要員が不十分なため、休暇者以外の労働者へのしわよせが強まり、右期間中の労働は過重なものにさえなつている。

労働条件のうちでも、右以外にも勤務時間帯による交替の問題、施設設備の問題、管理者による管理強化の問題等々労働条件の悪化は全般的領域に及んでいる。

(3) そこで、都志江の勤務していた多聞台保育所の勤務条件であるが、同保育所は、午前七時三〇分から午後六時三〇分までの長時間保育を行つていたため、保母らは時差勤務を余儀なくされ、毎日勤務時間は異なり、その中には一人勤務、二人勤務の時間帯もくみこまれており、変則的な労働時間と過重な労働が続いていた。また、保母ら職員数が少ないため、他の保母への労働のしわよせを考えると、休憩、休暇を十分にとることはきわめて困難な状態であつた。

都志江の場合も、他の職員と同様、休憩、休暇を十分とることなく、早出、遅出といつた変則的勤務に従事していたものである。したがつて、保育園の行事に伴う労働量の変動の外、勤務体制そのもののなかに、日常的に労働量の激しい変動が生じる体制が存し、疲労の回復の機会も少なく、保母の健康が不断に侵害されていた。

(三) 神戸市の実施していた健康管理の実態

神戸市は、保育労働者の健康管理につき十分な配慮をしておらず、昭和五〇年一〇月一三日実施の健康診断ははじめて行われたものであるが、その内容は貧弱でずさんなものであつた。

(1) 都志江の右健康診断の結果は、判定として「『C2』医師の指示に従つて治療を受けること(側彎、変形性の変化、椎間板症?」とされている反面、脊椎の検査の項には、変形はなく、圧痛が存しているにもかかわらず叩打痛はなしとされているのであるから、側彎変形性の変化という診断とは矛盾が存し、椎間板症の診断の根拠は全く明らかにされていない。

(2) また、右診断結果に基づく注意として、都志江に対してはすべての注意事項が指示されていたが、右注意事項を遵守するには、医師が健康管理責任者に遵守しうるような労働条件を確保させなければならないが、それらのことは全く行われていなかつた。

(3) このように、神戸市の行つた健康診断は、不十分な内容であつたうえ、健康を確保すべき責任の一切を労働者に押しつけるというものであり、健康確保にはつながらないものである。

(四) 都志江の昭和五〇年一一月六日の行動

(1) 都志江は、勤務時間である午前八時頃に多聞台保育所に出勤し、一階保育室の窓を開けるなどの準備を行つたうえ、同保育所内で子供達の世話をした。

同人は、午前九時五〇分頃、担当の二歳児園児を連れ、保育室「すみれ組」の部屋に移り、午前中の設定保育を始めた。

(2) 当時の二歳児の担当保母は、都志江の外に、大森順子、中岸ちずよの二名であるが、当日の保育リーダーは都志江であり、同人が他の二名の協力を得ながら保育を行つていたものである。

(3) 午前一〇時四五分頃、園児らのテレビ観賞の終了直前に、同園の所長である訴外門藤節子が全国私立保育連盟から来園した見学者を同伴し、見学のため同すみれの部屋を訪れた。

通常予定される見学の場合、見学者は遊戯を行う午後の保育を見学することになつており、二歳児保育について、それも室内にまではいり込み、しかも午前中の設定保育を見学することはいまだかつてなかつたことであり、都志江には到底予想しえないことであつた。

(4) 都志江は、右見学を受けながら午前一一時ごろから、自ら不得意なオルガンを弾いてリズムをとり、園児らにカスタネット等を持たせリズムに合わせて打たせながら、歌を歌わせる保育を始めた。

訴外門藤は、オルガンのすぐ後に立つて見学を続けていたが、見学の途中である一曲目の終了後、園児の側まで行つてカスタネットの正しい持ち方の指導を直接行い、再び見学を続けていた。

(5) この見学の手順、その態様は極めて異例のことであり、都志江の精神的緊張は高まつていたというべきところ、この緊張状況で二曲目の伴奏にはいつた。

(6) ところが、都志江は二曲目の伴奏において誰にでも明白なといえる曲の弾きまちがいをおかし、急激な緊張の極の中で、その数秒後に突然倒れたものである。

(五) 本件疾病の業務起因性

(1) 動脈瘤破裂の原因

ア 動脈瘤破裂に関与している因子のひとつに「瘤の壁の形状」があり、右因子に影響を及ぼすものとして、動脈硬化・瘤の大きさ・年齢がある。

まず、動脈硬化は、進行すればそれだけ壁がもろくなり、瘤も破裂しやすくなる関係にある。

次に、瘤の大きさについての臨床上のデータによれば、「動脈瘤の大きさが直径五ミリ以下であればその破裂はわずか二パーセントであるのに対し、六ミリから一〇ミリであればその四〇パーセントが破裂する」あるいは、「破裂した動脈瘤の大きさは平均値で男一七・四ミリ、女九・二ミリに対し、破裂しなかつた動脈瘤の場合にはそれぞれ男四・九ミリ、女四・四ミリであつた」というものである。

更に、年齢については、動脈瘤が破裂するのは、四五歳から五五歳に最も多く、三五歳未満で破裂する例は、女子では一五四一例中八六例でわずか五・六パーセントという臨床結果がみられる。

これらの臨床上のデータは、動脈瘤というものが存在すれば直ちに破裂するといつたことはなく、年齢が高いほど、瘤が大きければ大きいほど破裂しやすくなることを示し、逆にいえば、若年であればあるほど、瘤が小さければ小さいほど、破裂しにくいことを示している。

イ 動脈瘤破裂に関与するもうひとつの因子に「血圧」があり、血圧の高低が瘤の壁にかかる圧力に大きく影響すると考えることは極く常識的である。

高血圧症の動脈瘤破裂に与える影響は、必ずしも明らかでないが、仮に影響があるとすれば、その血圧値が高ければ高いほど影響が大きいことになるであろう。その点は措くとしても、高血圧症は、一時的な血圧の上昇には影響がある。血圧の変動の幅は、高血圧の人ほど高いとされているし、一定の血圧値に達するのに必要な上昇の幅は基礎となる平常の血圧値が高いほどわずかで足りるという双方の理由による。

ところで、動脈瘤の破裂により強く影響するのは、一時的なものであれ、高血圧値に達することであり、高血圧値に達した瞬間に動脈瘤の壁に強い圧力が加わり、その瞬間に破裂する。つまり、瞬間的な血圧値の上昇をもたらしたものこそ、破裂の引き金となる。

そして、血圧の一時的な上昇をもたらす要因は種々あるが、なかでも、精神的・情緒的な変化(緊張)は、血圧値を大きく上昇させるものである。このことは、「どのような状況下で動脈瘤の破裂が起きるか」を「血圧の変動」という視点から調査解析した、最も信頼できる厚生省の統計によつても十分推測できる。すなわち、右厚生省の統計によれば、就業中、用便中、だんらん中、食事中、入浴中といつた動作時に六四・二パーセントが破裂時の状況であり、就寝中は一二・二パーセントに過ぎない。動作時には、当然血圧の変動も予想されるのであり、厚生省統計も、血圧の上昇と動脈瘤の破裂との間の有意な関連性を示唆している。

ウ なお、疲労は直接に瘤の破裂に関与する因子ではないが、疲労の慢性化が、血圧を正常値に戻すことに対しマイナス要因として働く。

(2) 都志江の精神的状況

ア 都志江の性格は、真面目で神経質なところがあり、内向的でもあつた。

イ 都志江は、昭和四八年、三〇歳の時に試験に合格して保母の資格を得たが、当時といえば、保母の大半が短大卒業生で年齢も若く、ピアノ等の技量も優れていた。多聞台保育所の同僚保母もそのような保母であつた。そのため都志江は、他の保母に比べても、「若い人に負けないで頑張らなくては」という意識が強く、勤務中は積極的に仕事に取り組み、帰宅後は布木タカ子に頼んでピアノの個人レッスンを受けていたのである。

しかも、多聞台保育所の二歳児担当保母の人員配置が、産休明けの中岸保母、学卒新規採用の大森保母と都志江であつたため、都志江がその中心としての職責を果たさなければならなかつた。都志江としては、二歳児担当は初めてで、設定保育のリーダーの経験もなく(昭和四九年度は五歳児の午後の保育を担当)不安であつたばかりでなく、約一年間の練習にもかかわらず、ピアノの技量が上達せず「拙劣」な状態にあつたことも、その不安に輪をかけていた。

都志江は、最年長であるが、資格取得保母であり、しかも、若い保母に比べてピアノの技量がはつきりわかるほど劣つているにもかかわらず、二歳児保育の中心にならざるをえない立場にあつた。

ウ 都志江は、右に述べたような職場の人間関係の中にあり、しかも前述のとおり内向的で真面目な性格であつただけに、日々の職場での仕事が、大きな精神的ストレスとして残つていつていたことは、容易に推察しうるところである。

(3) 都志江の身体的状況

ア 都志江は、神戸市に採用された昭和四九年四月一日以降、健康保険証による受診はしておらず、同年九月に行なわれた成人病検査結果では、血圧一四二―八〇mm/Hgであり、昭和五〇年一〇月に実施された特殊健康審査によると、つまみ力低下、手指屈伸等のだるさ、腰部筋の疲労徴候が認められ、「C2」すなわち要治療の判定がなされている。

イ 右事実よりすれば、都志江は、高めの血圧値を示し、慢性疲労がうかがえるものの、日常的には、ごく普通の生活を送つていたことがうかがえる。右慢性疲労は手まち時間、休憩時間のない連続労働、常時子供達に神経を集中させながら、しかも子供達への安定した精神での対応が要求されるといつた特徴を有する保母労働が、その主要な原因である。

都志江の場合、それに加えて、六時過ぎには家を出なければならない早出勤務の存在、情緒不安定児へのマンツーマンでの対応といつた事情が重なり、疲労の度を高めていた。

(4) 都志江の動脈瘤の状態

都志江の脳動脈は動脈硬化を起してはおらず、その他血管壁の特異な変性は認められていない(解剖所見)。また、動脈瘤の大きさは半米粒大(せいぜい三ミリ程度である。)、破裂時の年齢が三一歳、血圧値が一四二―八〇mm/Hgであつた。右各数値は、前記(五)(1)アで検討したように、瘤の壁の厚さが減少して破裂しやすい状況でないこと、むしろ臨床上のデータによれば、ほとんど破裂していない数値であることを示していた。

したがつて、都志江の動脈瘤は、それまでと同一レベルの血圧の負荷の継続により、自然に破裂するということは考えられない状態であつた。

(5) 本件疾病と業務起因性

ア 都志江の動脈瘤破裂は、急激な破裂であり、昭和五〇年一一月六日午前一一時ころ倒れてからわずか一時間余り後の同日午後零時八分に都志江は死亡している。他方、前述((五)(1)ないし(4))のように、都志江の日常生活はきわめて自然なもので動脈瘤破裂の前駆症状をうかがわせるものはなく、動脈瘤の形状からしても、破裂し易い状態ではなかつた。それにもかかわらず、動脈瘤の破裂が急激に起こつたのは、一時的な血圧上昇という因子の作用としか考えられない。

イ そこで、まず都志江が本件疾病で倒れる直前の状況は次のとおりである。

すなわち、都志江は、他の二名の保母と一緒に、二歳児を保育室に連れて行き、出席確認のあと、同日午前一〇時四五分頃までテレビを見せていた。右テレビ終了後、都志江がリーダーとなつて設定保育を始めた。カーペットの片付け、机や椅子を出し、子供にハンドカスタを持たせるといつた準備をした後、都志江がオルガンで「まつぼつくり」を弾き、子供らがハンドカスタをたたきながら歌つた。他方、門藤所長と私立保育連盟役員の田中とは、設定保育の準備をしている時に二歳児の部屋にはいり込み、オルガンの前に立つていた都志江の斜め左後、約二メートルの位置に立つて見学していた。都志江からすれば、門藤所長らが入室してきたのは見てわかつていたが、オルガンを弾いている間は、背面の、死角になる位置に立つ右門藤所長らの姿は見えず、ただ監視の眼を背中に強く感じることとなつていたのである。

都志江は、「いつもなら廊下から窓越しに見て回る見学者が何故部屋の中まではいつてきたのであろうか」「自分の弾く『まつぼつくり』は楽譜通りではなく、弾き易いように個人レッスンの教師布木に『修正』してもらつたものであり、そのことは門藤所長や見学者にすぐ知れてしまうであろう」などと思いつつ、内心の恥かしさをおし隠して、緊張しながら弾いた。一回弾き終つた時、門藤所長が前の方に並んでいる子供らの中に入つて行き、ハンドカスタの正しい持ち方を教える注意を与え再び元いた位置に戻つていつた。

都志江は、自分のオルガンの技量でも恥かしい思いをしていたのに、子供らの楽器の持ち方まで直されたので、より一層緊張して門藤所長らのまなざしを背後に感じつつ、二回目の「まつぼつくり」を一回目以上に緊張しながら弾き始めた。ところが、都志江は、前奏を弾いている時に弾き間違いをおかした。その時、都志江は「しまつた」と思つたに違いない(このことは、門藤所長は、「音がおかしくなつたので間違つた」と思つたが、「そちらの方をみると心理的な負担がかかると思い」「いたわりの気持」から都志江の方を見なかつたことからも明らかである)。そして、都志江はその場で突然後に倒れ始めたのである。

血圧と動脈瘤破裂との関連性につき前述((五)(1)等)したことからすれば、本件疾病は、後記①ないし⑥までの連続した出来事の経過中に、都志江の血圧の急激な上昇を促した結果、引き起こされたものであることは明らかである。

① 門藤所長と見学者がいつもと異なり、部屋の中まで入り込んできた。

② 見学されるのが、不得手なオルガンを使つた設定保育で、しかも都志江がその責任者であつた。

③ 見学者が背面に立ち、都志江は、姿が見えないものの、強い視線を背中に感じていた(見学者が実際視ていたかどうかではなく、都志江からすれば「見られている」と思う状況にあつたことに意味がある。)。

これらの事がらだけでも、相当な精神的緊張が生じ、血圧の一時的な急上昇があつた。

④ 門藤所長より、子供らの楽器の持ち方に関する注意があつた。

⑤ その注意に引きつづき、一回目と同じ状況下で、不得手なオルガンを再び弾き始めた。

一曲目が終つて少しはほぐれた所へ、④があつたため、再び血圧は急激な上昇を示し、⑤のために、更に血圧の上昇が続いていたのである。

⑥ 都志江は、緊張のあまり弾き間違いをおかした。

ウ 右状況からすれば、本件疾病は、まさに公務に起因しているということができる。

すなわち、都志江の急激な血圧上昇をもたらしたのは、単なる日常的な保母業務ではなく、前記①ないし⑤にかかげた特別な各行為である。同⑥の弾き間違いも、①ないし⑤の結果生じた緊張によるものであり、同じように評価されるべきである。

見学者がいるといつても、前記①の見学の仕方は通常と異つており、オルガンを弾くといつても②③⑤は普段の日にオルガンを弾く状況とは異つており、④は明らかに通常とは異る行動なのである。

この通常と異つた状況下での公務の遂行こそ、血圧上昇の原因なのである。

したがつて、右①ないし⑥の出来事がなければ、都志江の血圧の急激な上昇はなく、たとえ動脈瘤が存在していても、破裂という現象は生じなかつたのであり、右①ないし⑥が破裂の相対的に有力な因子、引き金であつたことに疑いをはさむ余地がない。

本件疾病は、まさに公務に起因しているものといえる。

5  以上の次第で、都志江の本件疾病は、公務遂行中に公務に起因して発生したものであるから、公務上の事由によるものと判断されるべきである。

6  よつて、都志江の本件疾病が公務外災害であるとした被告の本件処分は違法であるから、その取消しを求める。

二  請求原因に対する認否

1  請求原因1ないし3の各事実は認める。

2  同4について

(一) 冒頭の主張は争う。

(二) (一)の事実は認める。

(三) (二)の主張は争う。

(四) (三)(1)(2)のうち、都志江の健康診断の結果、その際の注意事項が原告主張のとおりであることは認め、その余は争う、同(3)の主張は争う。

(五) (四)(1)(2)の事実は認め、同(3)前段のうち保育所長が見学者と一緒に入つてきたのは、テレビ観賞直後の午前一〇時五〇分ころであり、同(3)後段の主張は争う。同(4)のうち都志江が一回目のオルガンの演奏をしたことは認め、その余は争う。同(5)の主張は争う。同(6)のうち都志江が二回目の演奏に入り、突然倒れたことは認め、その余は争う。

(六) (五)(1)(2)の主張は争う。同(3)アのうち、昭和四九年九月に行われた成人病検査での血圧が一四二―八〇mm/Hg、同五〇年一〇月の検査結果の判定が「C2」要治療の判定であることは認め、同(3)イの主張は争う。同(4)のうち、都志江の破裂時の年齢、血圧値が原告主張のとおりであることは認め、その余の主張は争う。同(5)アのうち、都志江が原告主張の日時ころ倒れ、死亡したことは認め、同(5)イのうち、都志江が二歳児を保育室へ連れていき、午前一〇時四五分ころまでテレビをみせていたこと、都志江は保育所長等の見学しているなかで、オルガンを演奏したことは認め、その余は争う。同(5)ウは争う。

3  同5、6の主張は争う。

三  被告の主張

1  都志江の経歴は次のとおりである。

昭和三六年 三月 兵庫県立星陵高等学校卒業

昭和三六年四月〜昭和四四年六月 住友生命保険相互会社勤務(事務)

昭和四五年二月〜昭和四六年一二月 養護施設神戸実業学院勤務(保母)

昭和四八年一〇月 保母資格取得

昭和四八年一一月〜昭和四九年三月 神戸市立多聞台保育所勤務 (アルバイト保母)

昭和四九年 四月 神戸市職員(保母)に正規採用、神戸市立多聞台保育所配属

2  神戸市立保育所の保母の勤務状況等

(一)(1) 神戸市では、市内の公私立保育所収容児定員一万人をめざした第二次保育所整備五カ年計画に基づき昭和四五年から昭和四九年までの五年間に私立保育所への助成を行うとともに二五か所の市立保育所の建設を行つてきた。この計画により市立保育所の収容定員は昭和四五年度三一八〇人(三八か所)であつたのが、昭和五〇年度には六〇五三人(六一か所)となり二八七三人の増加をみた。一方、保母の配置は昭和四五年度二三五人であつたのに対し、昭和五〇年度六〇一人で、三六六人増加しており、保母一人当りの収容児数は年々減少している。保母の必要人員は収容児の年齢構成により異なるので、一概には断定できないが、保母一人当りの担当乳幼児数を年次的にみると昭和四五年度一三・五人(収容定員、保母定数は前掲)、同四六年度一二・八人(収容定員三六三六人、保母定数二八五人)、同四七年度一一・八人(収容定員四一八六人、保母定数三五六人)、同四八年度一一・〇人(収容定員四七四一人、保母定数四三二人)、同四九年度一〇・六人(収容定員五四九三人、保母定数五二〇人)、同五〇年度一〇・一人(収容定員、保母定数は、前掲)となり、担当乳幼児数は減少している。

(2) 保育所における保母の配置は、一般に厚生省の定める児童福祉施設最低基準(昭和二三年厚生省令第六三号)によつて定められている。神戸市においても原則としてこの厚生省基準により保育所の職員定数が定められてきており、神戸市においてこの基準を満たしていない保育所はない。昭和四〇年度以降における厚生省基準の改正は次表のとおりである。〈編注・下表〉

年齢

0歳

1,2歳

3歳

4歳以上

年度

昭和40年度

概ね8人

概ね30人

昭和41年度

概ね7人

概ね30人

昭和42年度

概ね6人

概ね30人

昭和43年度

概ね6人

概ね25人

概ね30人

昭和44年度

以降

概ね6人

(特別承認分)

概ね3人

概ね6人

概ね20人

概ね30人

● 人数は、保母1人当りの乳幼児数を示す

● 44年度以降の零歳児欄の特別承認分とは、低所得階層の零歳児を収容する保育所について承認される特別措置である

厚生省基準の改正により一定の収容児に対する保母の配置は多くなつており、保母の負担も軽減されてきているといえる。

(3) 神戸市では昭和四〇年度から零歳児保育を行つているが、厚生省の乳児特別対策の承認の有無にかかわらず、零歳児三人に一人の保母を配置している。

また、昭和四七年度から昭和四九年度にかけて、各保育所に担任クラスを持たない保母(以下「フリー保母」という。)を一名ずつ配置し、保母が休暇、休憩をとりやすいように配慮されている。

なお、多聞台保育所における保母の配置は厚生省基準を満たしており、また、昭和四九年度から一人のフリー保母が配置されていた。

(4) 一方、勤務時間についても、昭和四七年八月から隔週土曜半日勤務制が実施され、また、同年九月から勤務時間も実働週三九時間三〇分に短縮されている。隔週土曜半日勤務制実施に際しては、土曜日午後の残留児数に応じてパート保母を配置して勤務の軽減がはかられている。また、長時間保育を実施している保育所でも、職員の勤務時間を延長することなく、その分パート保母を補充することにより保母の負担が過重にならないよう配慮されている。

(5) 施設面においても、近年建設される保育所については厚生省基準で必要とされる面積、設備等を上回るように配慮されており、また、昭和四九年度以降は既設保育所においても、職員の休憩室を設置すべく保育所の改修が進められている。その他、後で述べるように、必要に応じ施設の改善が図られている。

また、設備についてもベッド、机等について保母の負担軽減になるよう、使いやすく改善が行われている。

(二)(1) 原告は労働条件の劣悪さの例として、超過勤務が多いことを述べているが、本来、超過勤務は正規の勤務時間(実働時間)との関連で問題となるものである。神戸市の保育所保母の正規の勤務時間は二週間で七九時間、即ち一週間平均三九時間三〇分である。したがつて、月平均一一時間の超過勤務があつたとしても労働基準法で定めた週四八時間の勤務時間を下回つており、決して劣悪とはいえない。

多聞台保育所においては、通常の保育所よりも保育時間が長いので、その分だけ超過勤務が多くなる旨主張しているが、保母の人数が減少する午後三時三〇分以降は一名のパート保母が入り、午後四時三〇分以降はさらに一名加わり、計二名のパート保母が入つており、職員の不足を補うよう配慮されている。多聞台保育所の昭和四九年四月から一〇月までの七か月間の保母一人当り月平均超過勤務時間数は、一一・五時間である。また、幼稚園の教諭との調整、連絡等のため超過勤務が多くなつている保母一名(特殊な業務を行つている。)は、一般の保母とは区分するのが妥当と考えられるが、その保母を除くと、一人当り月平均一〇・〇時間である。いずれにしても、保育所保母全体と比較して若干多いことは認めるが、正規の勤務時間の短さを考慮すれば、それをもつて業務が過重であつたとはいえない。さらに、都志江の超過勤務時間は、月平均六・一時間で、多聞台保育所の平均時間よりも短く、それほど過重になつていたとは考えられない。

(2) 休憩時間についても神戸市においては、フリー保母の配置や休養室の設置等、休憩がとれるような体制の確保に努めており、業務の性格上かなり制約されることは認めるが、一般に交替でとられている。

(3) 年次休暇については労働基準法で定められた年休二〇日が完全に消化されていないのは、日本の労働者全般にいえることである。

神戸市の保育所保母については、昭和五〇年一四・〇日(神戸市民生局調、昭和五〇年一月から一二月までの東灘、長田、垂水の各福祉事務所管内の保育所保母の休暇取得日数〔年間総取得日数+年間延人員〕)である。これは全職員の取得日数と比較して変わりない。

生理休暇については個人差があり、必ずしも取得率をもつて論じることはできない。

夏期の疲労回復を目的として、六月一六日から九月三〇日の間に与えられる特別休暇については、計画的にとる場合が多いと思われるが、これについても自由使用であつて、六月一六日から九月三〇日までと使用期間が限られてはいるが、年次休暇の上積みの性格を持つているものである。

以上のような休暇についても、フリー保母が配置され、取得しやすい体制になつてきている。

(4) 神戸市においても、保育所職員の労働条件の改善については前述のごとくフリー保母の配置、産休代替保母の確保等人員面での配慮がなされているとともに、施設面でも既に述べた休憩室の設置のほか、物の収納場所の確保等の改善がなされている。また、保育用具等の設備についても、机、椅子を重たいものから軽いものに変えるなど種々改善がなされ、保母の負担が少しでも軽くなるように配慮されてきている。

(5) 以上の次第で、神戸市立保育所における保母の労働条件は劣悪とはいえず、通常の労働に伴う疲労が疾病の誘発、増悪の一因となつたとしても、それは公務災害の補償の対象とはなり得ず、当該疲労が過激又は異常な業務により生じた場合に限り補償の対象となるものである。

3  神戸市立多聞台保育所の勤務体制

(一) 保母配置状況

当該保育所の収容児童数から算定した保母数は、厚生省の保母配置基準によると八名になるが、それに二名を追加した一〇名の保母が配置されている。追加分二名の内訳は、一名が年齢別に担当している保母の休暇、休憩等の要員として、フリーに補助できる保母であり、他の一名は、幼保一元化の試みを実施していることに伴い特別に配置されている保母である。

さらに、当該保育所が、一般の保育所よりも長時間の保育を実施している関係で、パートの保母二名が配置されている。

(二) 始業及び終業の時刻並びに労働時間

当該保育所では、午前七時三〇分から午後六時三〇分までの長時間保育を行つている関係で、保母は時差勤務となつているが、一週間当たりの労働時間は、他の保育所の保母と同じである。

都志江の災害発生前の一〇月及び一一月における始業及び終業の時刻は、次表のとおりである。〈編注・左表①〉

(三) 災害発生前の勤務状況

昭和四九年四月に神戸市の保母として正規採用になつてからの都志江の担当業務は、昭和四九年度が五歳児(幼保一元化対象クラス)二九人のクラスを担当し、主として午後の保育に従事していた。

昭和五〇年度は、二歳児一八人のクラスを他の保母二名と共に計三名で担当していた。なお、都志江の災害発生前三か月間の休暇取得及び超過勤務の状況は、次表のとおりである。〈編注・左表②③〉

(なお、一一月は超過勤務をしていない。)

曜日

昭和五〇年一〇月

昭和五〇年一一月

七・三〇~一五・三〇

九・三〇~一七・三〇

九・三〇~一七・三〇

九・三〇~一七・〇〇

九・三〇~一七・〇〇

九・三〇~一六・三〇

九・三〇~一六・三〇

八・〇〇~一五・三〇

八・〇〇~一五・三〇

七・三〇~一五・三〇

土(第一 第三)

九・三〇~一六・一五

九・三〇~一六・一五

土(第二 第四)

八・〇〇~一二・三〇

八・三〇~一三・〇〇

八月

九月

一〇月

年次休暇

〇・五日

生理休暇

一日

一日

夏期特別休暇

六・五日

〇・五日

七・五日

一日

一日

超過勤務時間数

勤務内容

八月

四時間五〇分

残留児保育等

九月

八時間〇〇分

運動会準備等

一〇月

三時間〇〇分

職員会議

4  神戸市の実施した健康診断について

(一) 昭和五〇年一〇月一三日実施の神戸市民生局社会福祉施設勤務職員特殊健康診断の内容はずさんなものでもなく、またその診断結果に矛盾はない。

(1) 右診断結果のうち「(2)脊椎の検査」項目で変形について「無」となつているのに「判定」では「C2(側彎、変形性の変化、椎間板症?)」となつている点は、脊椎の検査は身体の外からみた視診又は触診の結果であるのに対して、判定欄の記載事項はレントゲン写真による診断結果であつて矛盾するものではない。

脊椎の側彎あるいは亀背等の変形は重度のものであれば外からみてもわかるが、軽度のものについては外からみるだけではわからない。「判定」のうち「側彎」とは脊柱が左右に彎曲していることをいう。「変形性の変化」とは、脊椎の椎骨の突端部分が尖つてくるなどの椎骨の形の変形をいい、これはレントゲン写真でしか確認できない。「椎間板症」とは椎骨と椎骨の間の椎間板が正常なものよりも狭小化しているものなどをいい、これもレントゲン写真によつて確認される。側彎は日頃の姿勢などが関係しており、変形性の変化及び椎間板症はいずれも退行性変化といわれ年齢による変化であるといわれる。したがつて「(2)脊椎の検査」で変形について「無」となつており、「判定」で「側彎、変形性の変化、椎間板症?」となつていることは矛盾していない。

(2) 「(2)脊椎の検査」で圧痛について「有」となつているのに叩打痛について「無」となつている点は、圧痛と叩打痛とは検査の目的及び対象を異にしているので矛盾するものではない。圧痛は脊椎部を押したときの痛みの有無で、叩打痛よりも広い範囲にわたつて浅い部分、即ち筋、筋膜等の軟部組織の病変を調べるものである。これに対して叩打痛は、小さいハンマー状のもので叩いたときの痛みの有無で、狭い範囲で深い部分の異常を調べるものであり、骨にガン、カリエスがある場合、その他、神経過敏症がある場合等に反応があるもので、変形性脊椎症などについては反応はないといわれる。したがつて、圧痛があるにもかかわらず、叩打痛がないことは何ら矛盾していない。

(二) 都志江の診断結果は、レントゲン写真所見等から、第四腰椎あたりの側彎があり、第五腰椎に軽度の変化が認められ、さらに第五腰椎と仙椎との間が少し狭くなつており椎間板症の疑いがもたれるというものである。

これらの病変はいずれも腰痛の原因になり得るが、軽度の病変の存在が直ちに腰痛に結びつくものではないといわれる。都志江の場合も、前記の病変は軽度なものであり、また現実に激しい腰痛を常時訴えていなかつたのであるから「C2医師の指示に従つて治療を受けてください」の判定は極めて慎重な判定である。

(三) さらに、右診断結果のうち、「(1)上肢の検査」の項目では、僧帽筋の圧痛が(+)になつている以外はすべて(−)である。特に頸肩腕症候群の診断に際し、一般に用いられる神経及び血管圧迫テストであるアドソン試験、ライト試験、気をつけ姿勢試験及びスパーリング試験について、いずれも陰性であることから、頸肩腕については治療を要するほどの異常は認められなかつたと判断できる。

(四) ところで、都志江は昭和五〇年一一月六日脳動脈瘤破裂によるクモ膜下出血により死亡した。

この脳動脈瘤は、通常のレントゲン撮影では写らないため、造影剤を使うか、CTスキャン(コンピューター断層撮影)を使う必要がある。造影剤を使う方が精度は良いが痛みと合併症を伴う場合もあり、簡単には行えない。また、CTスキャンは当時一般には普及していない。したがつて、通常行つている健康診断で脳動脈瘤を発見することは当時の医学水準では困難である。一般に脳動脈瘤は、破裂時等に非常に激しい頭痛を生じる場合が多く、その際に医師に受診して初めて発見される場合がほとんどで、その他脳動脈瘤が脳あるいは神経を圧迫し、それによる一定の神経症状が出た場合に医師に受診し、脳動脈瘤が発見される場合があるくらいである。単に、頭痛持ちであるといつたことだけで、脳動脈瘤の存在を疑い、前記のような詳細な検査は通常行われてないから、都志江の場合、脳動脈瘤を発見し、その破裂の予防措置をとることは、本人にとつても、また、健康診断の実施者である当局にとつても困難であつた。

5  都志江の昭和五〇年一一月六日の行動

(一) 都志江は当日午前八時出勤であつたため、午前八時直後に当該保育所へ出勤し、七時三〇分出勤の同僚保母といつものように笑顔で朝のあいさつを交わした後、子供達を受け入れるための保育室の準備等の業務を行つた。その後全職員がそろうまでの間、子供達全員が集められている部屋へ行き、カーペットの所にすわつて絵本を読んでやつたり、ブロックがん具遊び等をさせながら子供達を遊ばせていた。

(二) 午前九時五〇分頃、子供達をクラス別にわけ、他の同僚保母二名と一緒に担当クラスの子供一四名を二歳児の保育室に連れていき、保育をはじめた。

(三) 当日の保育は、三人の保母のうち都志江がリーダーになつて実施することになつていた(リーダーは三人の保母が交替ですることになつていた。)。

(四) クラスわけしてからの保育の内容は、あらかじめきめられたいつもと同じカリキュラムにしたがつて行われた。

・ トイレにいかせる。

・ 朝の歌をうたわせ、出席をとる。

・ 身体の動きを活発にさせるため、みんなで身体を動かしながら歌をうたわせる。

・ ミルクの歌をうたい、ミルクを飲ませる。

・ テレビを見せる。

午前一〇時五分〜一〇時三〇分 NHK「お母さんと一緒」

午前一〇時三〇分〜一〇時四五分 NHK教育「仲よしリズム」

・ トイレに行かせる。

(五) テレビを見終えて、保母と子供達で次の保育に入るための準備をしていた午前一〇時五〇分頃、一歳児の部屋から順に見学者を案内してきた保育所長が、見学者と一緒に入つてきた。

なお、当日の見学者は、全国私立保育連盟の人で、五〇歳ぐらいの女性保母であり、都志江等に対しては、当日までに見学者があることは知らされていた。

(六) 歌の指導をするため、他の同僚保母が子供達に楽器を持たせている間に、都志江は、歌をうたいながら一回目のオルガン演奏をした。曲目は、童謡の「まつぼつくり」か「どんぐりころころ」で、一部の子供達も一緒にうたつていた。

(七) さあみんないつしよにうたいましようということで、都志江が二回目の演奏に入つたところで、突然後方へ倒れた。

その時刻は、一一時を二〜三分すぎたところであつた。

(八) すぐにその部屋にいた保育所長等がかけより、スラックスボタン、上着腰ひも等をゆるめ身体を楽にさせるとともに、幼稚園の養護教諭等の協力により、口にタオルをかませる等の措置をしたが、けいれん、失禁、アワを吹く、うなる等の症状があらわれていた。

(九) その間、一一九番に電話し、救急車の出動を依頼するとともに、子供達を全員他の部屋に移動させる等の措置がとられた。

(一〇) 午前一一時一六分〜一八分頃救急車が到着したので、すぐ佐野病院に運んだが、午後零時八分死亡した。

(一一) 死因が不明なため、神戸大学医学部法医学教室で解剖が行われ、その結果は、次のとおりである。

(死体検案書による)

・ 死亡日時分 昭和五〇年一一月六日午後〇時八分(発病から死亡までの時間約一時間)

・ 直接の死因 脳動脈瘤破裂

・ 主要所見  右後交通動脈起始部に約米粒大の動脈瘤の破裂を認める。

6  本件処分の適法性

(一) 脳動脈瘤の一般的な成因として、先天的要因、後天的要因及び両者合併要因があるが、都志江の脳動脈瘤は先天的なもので、その成因として脳動脈壁の筋層、内弾性板の欠損があつた。この先天的要因は都志江が出生時から保有していたと考えられる私的な素因であり、公務(保育所保母の業務)との因果関係は認められない。

一度形成された脳動脈瘤は動脈壁の欠損部が膨出するために正常脳動脈血管壁に比して非常に薄く破綻しやすい状態となつており、例え正常血圧値の状態であつたとしても脳動脈瘤の症状増悪は起り得るものである。

(二)(1) 脳動脈の破裂の原因については脳動脈瘤の動脈壁に由来する因子(血管壁の強度の限界)と動脈壁以外に由来する因子(血圧・血流等の血行因子)とが考えられるが、脳動脈瘤の破裂の機序・誘因については医学的意見の一致が見られていないのが現状である。

(2) この点、九大脳研外科の成績(高血圧の既往あり=二八・六パーセント、高血圧の既往なし=七一・四パーセント)、厚生省大臣官房統計情報部編・昭和五六年度人口動態社会経済面調査報告・脳血管疾患死亡(以下「厚生省五六年度報告」という。)〔高血圧の既往あり=四五・三パーセント、高血圧の既往なし=五四・七パーセント〕を援用し、高血圧が脳動脈瘤破裂の有力因子とする考え(松崎鑑定)があるが、そもそも右症例において、高血圧既往のない発症例が高血圧既往のある発症例を上回つているなかで、高血圧を脳動脈瘤破裂の特徴とするのは無謀ですらある。

さらに、脳動脈瘤の破裂が外的な負荷要因の少ない静止時・睡眠時にも発症しうることは、九大脳神経外科報告(静止中一九パーセント、睡眠中六・九パーセント)及び米国ロックスレイ報告(睡眠中三六パーセント、静止時三二パーセント)でも明白であり、脳動脈瘤破裂の初発発症時に限定的特徴は認めがたく、まして動作時に多いとは考えられない。

まして、都志江の血圧は、後述のとおり臨床医学上の「要治療」・「要指導」の区分には該当せず、右厚生省調査等の「高血圧既往」に含まれない。

(三)(1) 都志江の昭和四九年九月の職員健康診断成績は血圧が一四二―八〇mm/Hgとなつている。拡張期血圧(=最小血圧)は八〇mm/Hgと正常であるが、収縮期血圧(=最大血圧)が一四二mm/HgとWHO分類にいう境界域高血圧(一四〇―九〇mm/Hg以上)に入つている。しかし、その程度はわずか二mm/Hgである。また一四二―八〇mm/HgがWHO分類にいう高血圧(一六〇―九五mm/Hg以上)にあてはまらないことは明白である。

(2) 神戸市当局の行う職員健康診断において血圧の判定は、四〇歳未満一五〇―九〇mm/Hg以上、四〇歳以上一六〇―九五mm/Hgをそれぞれ基準としており、基準未満の者を「著変なし」とし、基準以上の者に対して二次検査を行つている。

この判定基準は神戸市衛生局が厚生省の国庫補助事業として神戸市民を対象に行つている一般健康診査で用いられている判定基準よりも厳しいものとなつている。

また「東大第三内科・高血圧重症度判定基準」や「日本循環器管理研究協議会・高血圧判定基準」の各判定基準と比較した場合、神戸市当局の健康診断判定基準は一般に要求される水準を十分に満たしたものである。

(3) 臨床医学においても一般的には、一六〇―一〇〇mm/Hg以上を「要治療」に、一五〇―九〇mm/Hg以上を「要指導」としているが、都志江の場合はいずれにも該当しない。

また、治療(降圧療法)を行う場合でも拡張期血圧値のみが指針として選択されており、拡張期血圧を九〇mm/Hg以下にすることが降圧療法第一のゴールとされているが、都志江の拡張期血圧は八〇mm/Hgであり、はるかにそれを下回つている。

(4) 以上の点から、都志江の血圧値は一般的な健康診断の判定基準にあてはめるかぎり「治療」・「指導」の対象となるものではなく、「著変なし」とした神戸市当局について健康管理上の責任は認められない。

(四)(1) 多聞台保育所における都志江の労働は一般的な保育所保母の業務であり、特別に過重なものであつたとは認められない。

勤務時間は週当たり四四時間と短く、都志江の平均超過勤務時間(昭和四九年度月平均九・七時間=週当たり二・四時間、昭和五〇年四月〜一〇月の月平均六・四時間=週当たり一・六時間)を含めたとしても労働基準法三二条一項に定められている週四八時間を下まわつている。

(2) 休暇取得についても都志江は昭和四九年度年間で二一日、昭和五〇年四月〜一一月六日の間で一三・五日取得しており、昭和四八年度の神戸市全職員年間平均一二・七日に比較して多いものである。なお、生理休暇については多分に個人差があり、一律に比較することは適切でない。一方休憩については保育所保母の業務の特殊性から一部制約はあるが児童の午睡時に保母が交替で取得している。

(3) 保母の職員配置は、都志江の担当したクラス及び多聞台保育所全体についていずれも厚生省の保母配置基準を満たしていた。

また別途フリー保母やパート保母も配置されており、保母の負担にならないように配置されていた。

(4) 以上の点から労働条件・労働環境面で必要な措置は講じられており、公務による疲労蓄積(=過労)は認められないし、疲労の蓄積によつて脳動脈瘤が形成・破裂されることはありえない。

(五)(1) 本件発症当日の都志江の保母業務は通常のものであり業務量が著しく増加した形跡はない。発症直前に都志江はオルガン演奏に従事しているが、オルガン演奏は保育所保母のごく一般的な業務である。当日の演奏曲も「どんぐりころころ……」か「まつぼつくり」であり、日頃から保育でよく歌わせていた曲であり、都志江も弾きなれた曲であつた。以上のことから当日のオルガン演奏は著しく過重なものであつたとは認められない。

(2) 本件発症当日は東京からの五〇歳ぐらいの女性保母一名の見学者があり、都志江の保育室に入室している。多聞台保育所は幼稚園併設の保育所であり全国でも珍らしい幼稚園・保育所一元化の試みがなされていたため見学者が多く、昭和四八年度二〇回・一一九人、昭和四九年度一五回・五〇人、昭和五〇年度(一一月六日まで)四回・六二人となつている。このため見学者があることは保母にとつて珍らしいものではなく、都志江も見学者になれていたと考えられる。

(3) 本件発症当日の見学者は一名だけであつたため、部屋の中に入つての見学となつたものである。保育室の中まで入る見学者は、そう多くはなく昭和五〇年度は当日が初めてであつたが、他方、熱心な見学者は保育室の中に入つて作品にさわつたり、また見学者以外の者が保育の行われている最中に保育室の中に入ることもよくあつた。

(4) 右の状況からして、当日の都志江のストレスは通常の保母の保育作業によるストレスと大差はないと考えられるし、またその程度のストレスは日常生活においていくらでも経験する程度のものである。

仮に、都志江には、強いストレスがあつたとしても、そのストレスの排除……例えば保母にオルガンを弾かせない、保母がオルガン演奏中は見学者を含めた何人もその背後に立たせない等……は普通の保育所保母業務に従事するなかでは措置できない。

(六)(1) 脳動脈瘤破裂の公務災害の認定にあたつては、単に公務遂行中に脳動脈瘤が破裂したからという発症場所的・発症機会的理由により公務上の災害と認定されるものではない。

脳動脈瘤の形成及び破裂について、公務がその原因となつたことが明らかな場合に、発症と公務とに相当因果関係が認められて初めて公務上の災害と認定されるものである。

(2) しかし、都志江においては脳動脈瘤の形成は先天的な脳動脈壁における筋層・内弾性板の欠損があつたことによるものであり、私的な素因により先天的に有していたと認められる。故に脳動脈瘤形成において公務との因果関係は認められない。

(3) 一度形成された脳動脈瘤は正常脳動脈血管壁に比して非常に薄く破綻しやすい状態にある。脳動脈瘤の破裂の原因には動脈壁による因子とそれ以外の因子が考えられるが破裂の機序・誘因については医学的意見の一致が見られていない。また、米国ロックスレイ報告、九大脳神経外科報告、厚生省五六年度報告のいずれを見ても脳動脈瘤の破裂時の限定的条件(いつ、どのような時に破裂するか)は認めがたい。

(4) 都志江の保母業務において過度の業務の集中、法的基準を超える業務量等は認められず特別に過重な業務であつたとは認められない。また、本件発症当日の業務も通常業務と変らず、見学者が一名あつたものの保母にとつて著しい負担となつたとは認められない。故に公務が明らかに脳動脈瘤破裂の原因となつたとは認められない。

(5) なお、都志江の健康管理について、健康診断・休職措置のいずれをみても任命権者神戸市長の管理責任は認められない。

(6) 以上のことから都志江の脳動脈瘤破裂による死亡を公務外の災害とした本件処分は適法であり、取り消すべき理由は見当らない。

四  原告の反論

1  まず、被告は、脳動脈瘤の生成、破裂がどのようにして惹起されるものか医学的に明らかでないことを前提にして、本件疾病に公務起因性を認めることはできない旨主張する。

しかしながら、脳動脈瘤の破裂が、いつ、いかなる場合でも特定の誘因によつて発生すると考えることは困難であろうが、破裂は、瘤の血管壁の強度と、そこに作用する血圧の高低との相関関係によつて起ることは疑いのないところである。

都志江は、三二歳の女性で、血圧はやや高めであつたが、脳動脈の硬化はなく、瘤の大きさは半米粒大であつた。これらのデータはいずれも瘤の血管壁の経年的脆弱化による破裂ではないことを示している。

一方、破裂時は、不得手なオルガン演奏と弾き間違い、異例の背後の見学者などの条件が重なつて、緊張、ストレスによる急激な血圧の上昇が当然ありうるような状況であつた。また、都志江はやや血圧が高めで、慢性的な疲労状態にあつて、精神の安定にとつては悪い条件下でもあつた。血圧が高い人ほど血圧の変動幅が大きいということも悪条件とみるべきである。

したがつて、本件ではこのような悪条件が重なつて、通常ならば耐えられるはずの瘤の血管壁の耐久度を超える血圧の上昇が急激におこつて破裂に至つたとみるのが妥当である。

被告はこのような具体的条件を検討し、反論、反証することもなく、「誘因は一般的には特定が困難である」ということから、いきなり都志江の破裂誘因も特定できないと結論づけている。わずかに被告が主張しているのは、オルガンを弾くことと、見学者が来ることは「通常の業務」であつて、だから破裂と職務の因果関係はないといつている点だけである。

しかし、「通常の業務」であつても、その業務が疾病の発生、増悪の原因となれば、職務による災害であつて、被告のこの主張は無意味な主張である。

2  次に、被告は、都志江が過労状態でも高血圧でもなく、神戸市当局の健康管理にも手落ちはなかつた旨主張する。

まず、疲労と高血圧の問題であるが、都志江が慢性的疲労状態にあつたことは健康診断の結果などから明らかであり、血圧も三二歳の女性としては高めの数値であることははつきりしている。そして、都志江のこのような健康状態は、動脈瘤の破裂についてはマイナスの要因であること、つまり、このような健康状態は精神の安定を害い、血圧の正常化を妨げ、血圧の変動幅をより大きいものにしていたという意味で主張しているのである。

被告は、このような点は答えず、単純に保母労働の程度の問題と高血圧の領域の面から、原告の主張を否定しているだけであつて、見当はずれの主張にすぎない。

次に、神戸市当局実施の健康管理についての被告の主張は、以下の二点で失当である。

まず、第一の点であるが、原告は神戸市の保母労働に対する健康管理一般を、本件破裂の誘因であると主張しているわけではなく、都志江の健康状態が適切な管理を必要としていたと主張しているのである。

都志江には高めの血圧と慢性疲労があつたことは明らかであるが、このような健康状態は当然健康上の指導を要するものであつた。もし、適切な健康管理がおこなわれていれば、血圧はより平均値に近いものになり、疲労も回復し、精神的にもより安定したはずである。そうであれば、破裂の可能性を高めていた疲労、高めの血圧、そこからくる精神的ストレス、血圧の変動幅の増大という条件は、より緩和されていたと思われる。

原告はこのような意味で、個々人に対する生活指導的な健康管理の問題を取りあげているのであるが、被告は都志江個人の問題としてよりも保母労働一般の問題に問題をすりかえている。

第二の脳動脈瘤の予知、予防措置につき被告が主張するような健康管理を神戸市当局に要求しているものではない。原告が主張する健康管理とは、定期的な健康診断と、その結果必要とする適切な健康管理であり、本件でいえば、都志江に対し、食生活に気をつけ、規則正しい生活をし、疲労を蓄積させないような生活指導である(もちろん指導を必要とすることの説明もそのなかに入つている。)。

このように、原告は、神戸市の健康管理そのものが、本件疾病の原因となつたと主張しているわけではなく、適切な健康管理があれば、それは本件疾病の可能性をより小さいものにしたであろうといつているのであつて、被告の主張は見当違いもはなはだしい。

第三  証拠〈省略〉

理由

一請求原因1ないし3の各事実は、当事者間に争いがない。

二都志江の死亡が、公務上の死亡といえるかどうかについて判断する。

1 地方公務員災害補償法三一条に定める「職員が公務上死亡した場合」とは、職員が公務に基づく負傷又は疾病に起因して死亡した場合をいい、公務と右負傷又は疾病との間に相当因果関係のあることが必要であり、その負傷又は疾病が原因となつて当該職員が死亡した場合でなければならないものと解するのが相当である(最高裁判所昭和五二年一一月一二日第二小法廷判決・判例時報八三七号三四頁参照)。そして、右の相当因果関係があるというためには、死亡が公務遂行を唯一の原因とする必要はなく、被災職員の既存の疾病(以下「基礎疾病」ともいう。)が原因となつて死亡した場合であつても、公務の遂行が基礎疾病を誘発又は増悪させて死亡の時期を早めるなど相対的に有力な原因となり、基礎疾病と共働して死亡の結果を招いたと認められる場合には、被災職員がこのような結果の発生を予知しながらあえて公務に従事するなど災害補償の趣旨に反する特段の事情のないかぎり、右死亡は公務上の死亡であると解するのが相当である。

2  そこで、以下都志江の健康状態、死亡前の勤務及び私生活による疲労の程度、死亡当日の勤務状況につき検討する。

(一)  都志江の健康状態

〈証拠〉を総合すれば以下の事実を認めることができ、同認定を左右するに足りる証拠はない。

(1) 昭和四九年二月二六日の神戸市採用時の身体検査において、都志江は虫垂炎以外特記すべき既往の疾病はなく、現在の健康状態は「普通」と申告し、同日実施の検査においても整形外科・耳鼻科・内科的診察及び胸部X線、尿検査においても異常は認められなかつた。

(2) 神戸市在職中の健康診断においても、昭和四九年七月二九日及び同五〇年二月六日受診の結核健康診断の結果はいずれも「健康」であり、昭和四九年九月二〇日実施の成人病健康診断においては血圧一四二―八〇mm/Hg(以下血圧に関するかぎり単位を省略する。)(この血圧値は当事者間で争いがない。)、尿蛋白及び尿糖はいずれも陰性、ウロビリノーゲンは正常で、「著変なし」の判定がされている。

(3) さらに、昭和五〇年一〇月一三日に実施された社会福祉施設職員の健康診断(特殊健康診査)においては、①筋肉疲労徴候として左右僧帽筋の圧痛(+)、左右のⅠ―Ⅱ指及びⅠ―Ⅲ指間のつまみ力の低下、手指屈伸時のだるさなどの異常所見、②脊椎の部位は不明だが圧痛(+)、左上臀神経の圧痛(+)及び膝蓋腱反射の減弱などの神経根症候、③腰部筋の疲労徴候としての体右捻じり(+)及び体右屈(+)などの異常所見が認められ「C2」すなわち要治療の段階にあるとの判定がなされ、多項目にわたる指示(この判定及び指示は当事者間で争いがない)がなされている。

なお、判定として指摘されている「側彎変形性の変化、椎間板症?」は、脊椎検査の「変形(−)」「可動性(良)」の判定と矛盾している。

(4) 都志江は、昭和四九年四月一日に神戸市に採用されて以来、健康保険証による受診はしていないが、平素から頑固な頭痛にみまわれることが多くセデスなど市販の薬を持ち歩き、特に生理日には頭痛は著しかつたことがうかがわれ、都志江の休暇取得状況からしても月約一回の定期的な間隔をおいて頭痛を理由に休暇を取得し、そのうちの相当回数は都志江自身生理休暇として取得していることなどから、医学的には都志江の頭痛は生理の随伴症状の一つと理解されている。

(5) なお、昭和五〇年一〇月一三日実施の前記特殊健康診査の結果は、都志江の生存中にはまだ通知されていなかつたので、同女はこれら異常に対する治療は受けていなかつた。

(二)  都志江の死亡前の勤務状況及びこれによる疲労の程度

(1) 〈証拠〉を総合すれば、以下の事実を認定することができ、同認定を左右するに足りる証拠はない。

ア 神戸市が昭和四九年四月一日に都志江を採用する前の同女の経歴は、被告主張(事実欄三1参照)のとおりである。

イ 都志江は、神戸市に採用された昭和四九年四月一日付けで多聞台保育所に配属されているが、同保育所の勤務体制等は次のとおりである。

すなわち、同保育所の昭和五〇年一一月現在の定員は、一、二歳の乳児が三〇名、三ないし五歳の幼児が八〇名で、実際の人数は一歳児が一三名、二歳児が一七名、三歳児が二四名、四歳児が二八名、五歳児が二七名の合計一〇九名であり、職員のうち保母の人員は、所長、主任保母、五歳児担当の保母及び四歳児担当の保母が各一名、三歳児担当の保母が二名、二歳児担当の保母が三名、一歳児担当の保母が二名(うち一名はアルバイト保母)のほかパート保母が二名である。右パート保母を除く保母数は、厚生省の保母配置基準に基づき同保育所の収容乳幼児数から算出した保母数より二名多く配置され、さらに同保育所が一般の保育所よりも長時間保育を実施している関係で右二名のパート保母が配置されているものである。

次に、同保育所の就業時間は、平日で八時間以内であるが、同保育所では午前七時三〇分から午後六時三〇分までの長時間保育(一般の保育所は午前八時から午後五時までである。)を実施している関係で、保母は時差勤務となつており、平日では午前九時三〇分始業、午後五時三〇分終業の場合が最も多いが、午前七時三〇分ないし午前八時三〇分始業の場合が、一週間に二回程度ある。

さらに、同保育所は、五歳児につき、多聞台幼稚園との幼保一元化(多聞台方式)を実施しており、これにより保育所、幼稚園のそれぞれのカリキュラムの長所を採用して幼児が小学一年生になるときには同じ保育水準になることを目指している。このような試みは、例が少ないので、他都市等からの見学者が同保育所を訪れることはめずらしくない。

ウ 都志江の担当業務は、昭和四九年度が、五歳児(幼保一元化対象クラス)二九名のクラスを担当していたが、幼保一元化対象クラスであつたため、午前中の保育は保育所・幼稚園兼務の担当者にまかせ、主に午後の保育に従事していた。

昭和五〇年度は、二歳児一八名のクラスを他の保母二名(中岸ちづよ及び大森順子)と担当していたが、右中岸は昭和五〇年四月から同年七月までいわゆる産休であり、その間アルバイト保母でまかない、また右大森は昭和五〇年四月新規採用の若手(二〇歳位)の保母であつた。

エ 都志江の死亡前月である昭和五〇年一〇月の同女の始業及び終業時刻は、被告主張(事実欄三3(二)参照)のとおりであり、また、同女の昭和五〇年八月から一〇月までの休暇取得及び超過勤務状況は、被告主張(事実欄三2(三)参照)のとおり(休暇の取得日数の合計は九・五日、超過勤務時間の合計は一五時間五〇分である。)である。

オ 昭和五〇年度の二歳児には、やや情緒不安定な乳児がいて、都志江が四月から夏ころまでその乳児を担当し(時には一対一となつて)ていたが、その乳児も夏休み後は集団生活になれ、都志江自身特別世話をやくこともなくなつた。

(2) 以上の事実のほか、〈証拠〉を総合すれば、都志江は昭和五〇年度に入り、五歳児担当から二歳児担当に変り手まち時間・休憩時間がほとんどとりにくい連続労働を余儀なくされたこと、労働内容も五歳児とはかなり自律性等の点で劣る二歳児担当となり、常時精神の緊張と乳児に対する安定した精神の対応が要求され、しかも右は乳児たちの泣声等騒然とした環境で行われていること、時差出勤、休暇取得・超過勤務状況のほか前記昭和五〇年一〇月一三日実施の健康診査の結果等からすれば、都志江は職務上かなり肉体的・精神的に疲労していたことがうかがえるが、それがどのように同女の血圧を上昇させ又は上昇した血圧の低下を妨げて脳動脈瘤破裂の原因として寄与したかは、同女の死亡という事実を別にすれば、これを客観的に確認する証拠は見当らない。

(三)  都志江の私生活における疲労

〈証拠〉を総合すれば、都志江はもともとピアノないしオルガンの演奏が不得手で、昭和四九年六、七月ころから死亡するころまで小学校の音楽教師に週一回三〇ないし四〇分間教えてもらつていたこと、都志江自身、昭和四九年にピアノを購入し練習にそなえていたこと、しかしピアノ演奏の技倆は初心者の域を出ずそれほど進歩もなく、童謡の「まつぼつくり」「どんぐりころころ」などは楽譜どおりに弾けないで一部修正してもらうなどピアノないしオルガンの技倆にはかなり悩んでいたこと、さらに、昭和五〇年一一月六日当日の朝、都志江は朝遅れたといつてタクシーで出勤し、出勤後の行動も疲れた様子で、昨日は大きな買物をして疲れたともらすなど、体調が必ずしも十分でなかつたことの各事実を認定することができ、右認定を左右するに足りる証拠はない。

しかしながら、ピアノの練習それ自体が精神的ストレスを生じさせるものとは考えがたく、ピアノの技倆についての悩み及び昭和五〇年一一月六日朝の体調・精神状態は必ずしも定かではなく、同女の職務上の前記肉体的・精神的疲労に加えて右による精神的・肉体的疲労がどの程度であつたかは定かではない。その他、本件記録上都志江の私生活における疲労の程度を認定するに足りる証拠はない。

(四)  都志江の昭和五〇年一一月六日の勤務状況

(1) 〈証拠〉を総合すれば、以下の事実を認定することができ、同認定を左右するに足りる証拠はない。

ア 都志江は、当日午前八時ころ出勤し、午前七時三〇分出勤の保母と二名で子供たちを受け入れるための準備をし、全職員がそろうまで一歳児の保育室一か所に登園してきた乳幼児すべてを集め自由遊びをさせていた。

イ 都志江は、午前九時五〇分ころ、乳幼児たちをクラス別に分け、他の同僚保母二名とともに、担当する二歳児一四名を二歳児の保育室「すみれ組」の部屋に連れて行き、設定保育を開始した。設定保育は、三人の保母が交替でリーダーとなり実施するが、当日は都志江がリーダーであつた。

当日実施された設定保育経過は、まず、担当二歳児をトイレに行かせ、出席をとり、ミルクを飲ませ、午前一〇時五分から同一〇時四五分ころまでテレビを見させた。

ウ 二歳児たちが、テレビを見終つたころ、多聞台保育所の所長である門藤節子が、全国私立保育連盟の役員である女性保母の見学者(田中)を案内して、「すみれ組」の部屋を訪れた。

当日、私立保育連盟の役員が見学に来ることは少なくとも三か月前に保母たちに知らせていたが、都志江自身が、当日見学者があることを認識していたかどうかは定かではない。また、見学者が、室内にまで入り見学することは珍しく、昭和五〇年度において見学者が二歳児の保育室に入室したのは、当日が初めてであつた。

エ テレビを見終つたあと、リズム合奏に入るため、机・椅子等を出すなど室内の模様替えをし、二歳児たちをすわらせ、都志江以外の保母は二歳児たちの中に入り、都志江自身はオルガンを弾く態勢に入つた。他方、門藤所長及び見学者は、都志江の後斜め左二メートル位で、都志江自身からは見学者等を見ることができない所に位置して見学を始めた。

オ 都志江は、一曲目の童謡(曲目は「まつぼつくり」)を歌いながらオルガンを弾き、二歳児たちはカスタネットをたたくなどのリズム合奏を行つた。

一回目が終つたあと、門藤所長自ら二歳児たちの中にいる二人の保母のところへ行き二歳児にとり保育の目標となつているカスタネットの正しい持ち方を指導し、もとの位置に帰り再び見学者とともに見学を続けた。当然、都志江自身は、右門藤所長の指導状況を目の前で見る位置関係にあつた。

カ 都志江は、午前一一時過ぎころオルガンで二回目の「まつぼつくり」を弾き始めたが、前奏を弾き違え、その数秒後には突然後方へ倒れて意識を失い、救急車で佐野病院に運ばれたが、発病から約一時間後の午後零時八分死亡した。解剖の結果、直接の死因は、脳動脈瘤破裂で、右後交通動脈起始部に半米粒大の動脈瘤の破裂が認められた。

(2) 〈証拠〉を総合すれば、多聞台保育所には見学者が多いとはいえ、都志江が二歳児を担当するようになつた昭和五〇年度においてははじめての見学者であり、しかも二歳児の保育室に入室して都志江の視野に入らない後方から見学していたこと、一曲目の童謡が終つてから門藤所長が当日の設定保育のリーダーである都志江の目の前でカスタネットの持ち方の誤りにつき注意をしたこと、都志江の性格は内向的で謙虚だが、保母になるのが遅れていたことなどから保母業務に対し積極的に取り組み、若い人には負られないとの気持を持つていたこと、都志江のオルガンないしピアノの技倆は未熟で、業務外で積極的に努力していたものの上達は遅く、童謡の「まつぼつくり」は同女にとつては比較的むつかしい部類であつたこと、その童謡を見学者の前で弾き、さらに二回目に入つたときには前奏を弾き違えたことが認められ、右認定を左右するに足りる証拠はない。

そこで検討するに、都志江が倒れるまでの前記事実経過のほか、右のような見学者の存在、設定保育のリーダーとしての地位、門藤所長の介入、都志江の性格、オルガンの技倆の未熟さ等からすれば、本件疾病発症当時の都志江の精神的負担緊張は相当大きかつたものと推認するに十分である。

3  都志江の死亡と公務起因性

(一)  脳動脈瘤破裂の機序ないし誘発要因

〈証拠〉によれば、脳動脈瘤破裂をもたらす因子は大別して「血管壁に関する因子」と「一時的に血圧の上昇をもたらす要因」があるとし、血圧値の変動をもたらす要因として、体位・睡眠・日間変動・精神的影響・筋肉労働・食事・妊娠・アルコール・タバコ・肥満・温度・環境・発熱・栄養等をあげ、生活様式、労働条件など幅広い社会医学的検討が必要であるとしている。

次に、〈証拠〉によれば、破裂の機序につき病理学的には、動脈瘤壁の血管壊死と同時に起こる壁内出血に基づく壁組織の疎化による、あるいは動脈瘤に炎症細胞とフイブリンの浸潤が動脈瘤壁を脆弱化し動脈瘤の増大・血漿の浸潤を引き起こし破裂に導くとの考えがあるとし、他方、臨床的なデータでは破裂の発生部位・大きさ・形態・発生年令等に関連性があるが、高血圧が破裂の誘因となるかどうかは見解が分かれ、全体としては初回発作に及ぼす高血圧の関与は少ないとしている。

さらに、〈証拠〉によれば、血流の乱流、拍動性のほか高血圧が破裂の有力要因と考えられるとし、動脈硬化のあまり考えられない四〇歳以前の若年者では特に高血圧が破裂の有力要因となるとしている。

(二)  脳動脈瘤破裂時の状況

松崎俊久の鑑定の結果、同証人の証言及び弁論の全趣旨を総合すれば、どのような状況下で脳動脈瘤の破裂が起こるかについての報告は少ないが、アメリカのロックスレイの報告では、睡眠中三六パーセント、特別何もしていないとき三二パーセント、物を持ち上げる・体を前屈するとき一二パーセント、精神的興奮四・四パーセント、排便四・三パーセント、性交時三・八パーセントなどとなつており、九大脳神経外科の報告では、動作中三〇パーセント、静止中一九パーセント、排便一一・七パーセント、起立及び前屈時一一・三パーセント、入浴八・五パーセント、睡眠中六・九パーセント、性交三・二パーセント、飲酒三・二パーセント、重作業・スポーツ二・四パーセント、精神的興奮二・〇パーセントとなつていること、右二報告はいずれも大病院に入院した症例の統計であること、厚生省が、昭和五六年二月から三か月間に脳血管疾患で死亡した三〇歳以上の日本人につき、山形・愛知・高知の三県で実施した調査結果によると、調査できた二二二一例中一〇六例がくも膜下出血で、うち高血圧の既往あるものが四五・三パーセントであり、発病時の状況は、就業中二四・五パーセント、用便中一八・九パーセント、だんらん中一三・二パーセント、就寝中一二・二パーセント、食事中三・八パーセント、入浴中三・八パーセント、その他不明は三七・七パーセントであつたことが認められる。

(三)  以上述べたところを基準に本件の場合を検討するに、まず都志江には高血圧症と脳動脈瘤の存在という基礎疾病があつた。都志江の血圧値は、昭和四九年九月二〇日の測定時には一四二―八〇であつたが、〈証拠〉によれば、厚生省が実施した昭和五五年循環器疾患基礎調査に基づき、三〇ないし三九歳の関西地区在住の女性の最大血圧平均値は一一八・三(標準偏差値一一・六)で、最小血圧平均値が七二・七(標準偏差値九・八)であつたことから、本件疾病当時三二歳であつた都志江の血圧値一四〇は特に最大血圧値において平均値に標準偏差値の二倍を加えた一四一・五より高値を示しているところ、正規分布曲線では一四一・五より高値を示す者は二・二八((100−95.44)+2)パーセントしかないと推定され、少なくとも正常とはいえないこと、最大血圧一四〇以上は世界保健機構(WHO)の基準でも境界域高血圧に入ること、しかし、都志江の右血圧値では治療の対象にはならないことの各事実が認められ、右認定を左右するに足りる証拠はない。しかも、都志江の右高血圧症が、急激な自然増悪の状態にあつたとする証拠はないのであるから、都志江の死亡はその有する高血圧症の自然経過的な亢進の結果生じたものとは到底いえない。

次に、脳動脈瘤の存在であるが、〈証拠〉によれば、動脈瘤の大きさが直径五ミリ以下であればその破裂はわずか二パーセント以下で、六ないし一〇ミリであればその四〇パーセントが破裂するとし、〈証拠〉を総合すれば、破裂した脳動脈瘤の大きさは平均値で男一七・四ミリ、女九・二ミリ、破裂しなかつた動脈瘤の場合にはそれぞれ男四・九ミリ、女四・四ミリであり、くも膜下出血患者(女)の一次発作時の年令分布では、四五ないし五五歳に最も多く、一五四一例中三五歳未満で破裂する例はわずか八六例で五・六パーセントあるという各臨床結果が出ている。これら臨床結果から、本件を検討するに、〈証拠〉によれば、本件疾病時の都志江の年令が三二歳であつたこと、都志江の脳動脈に動脈硬化は認められなかつたこと、破裂した脳動脈瘤の大きさは半米粒大(直径三ミリ位と思われる。)であつたことの各事実を認定することができ、同認定を左右するに足りる証拠はない。しかも、脳動脈瘤破裂の機序ないし誘因及び破裂時の状況が前記のようなものであることを考慮すれば、都志江の死亡は、基礎的疾病が自然発生的に増悪した結果生じたものとは到底いえない。

これに対し、都志江の昭和五〇年一一月六日の勤務状況及び同女が倒れる直前の精神的状況は、前記(理由欄二2(四)参照)認定のとおりであり、その当時、都志江は相当強度の精神的負担・緊張の状態に陥り、それが同女の基礎的疾病の一つであつた高血圧症に加えて一過性の急激な血圧亢進を惹起し、しかも前示(四)(2)に認定の各事情からすると、右の血圧上昇は相当高度のものであり、それが誘因となつて本件動脈瘤の破裂が発生したものと認めるのが相当である。

この点、〈証拠〉によれば、都志江の脳動脈瘤破裂と保育業務との因果関係を認めることには非常な抵抗があるとし、その根拠として、特にアメリカの前記ロックスレイの報告をあげ、破裂の三六パーセントは睡眠中であり、他方精神的興奮時の破裂は二ないし六パーセントであつたことをあげている。しかしながら、〈証拠〉によれば、睡眠中といえども興奮状態に陥ることもあることが認められ、睡眠が直ちに精神的安定を意味しない。しかも、右ロックスレイ報告でも精神的興奮時に破裂が発生することが認められるのであり、〈証拠〉は、本件都志江の勤務状況、それに基づく同女の精神的緊張の度合、それと脳動脈瘤破裂との関係等につき具体的な検討を経たものではなく、したがつて到底採用できない。

以上要するに、都志江の死亡は、同女の前記高血圧症及び脳動脈瘤の存在という基礎疾病が、同女の従事していた公務によつて急激に増悪され、右基礎疾病と公務との共働原因に基づいて発生したものであり、公務遂行が相対的に有力な原因となつていたから、公務に起因するものということができ、他方、本件においては、都志江がこのような結果の発生を予知しながらあえて公務に従事するなどの災害補償の趣旨に反する特段の事情も認められないので、本件疾病が公務外であると認定した本件処分は違法というほかない。

三結論

よつて、原告の本訴請求は理由があるからこれを認容し、訴訟費用の負担につき行政事件訴訟法七条、民事訴訟法八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官野田殷稔 裁判官小林一好 裁判官横山光雄)

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